秋吉敏子

アジア人で唯一の「全米ジャズマスターズ賞」アーティスト

1958
マドモアゼル音楽賞
1976、1977、1978、1979、1980、1981、1983、1984、1992、1994
グラミー賞ノミネート 最優秀バンド・パフォーマンス賞
1981、1982、1984、1990
グラミー賞ノミネート 最優秀編曲賞
1980、1981、1982、1986、1989、1995、1996
ダウンビート 最優秀作曲・編曲賞
1980、1981、1982、1983、1984
ダウンビート 最優秀ジャズバンド賞
1984
レコードレビュー 最優秀編曲賞
1980、1981、1982
ジャズフォーラム 最優秀ジャズバンド賞
1988
ルーツ 世界の最高ジャズバンドリーダー賞
1975
スイングジャーナル Nanri賞(初受賞者)
1977
金賞
1976、1981、1996
銀賞
1986
ニューヨーク市長 リバティ・アワード
1986
NYアジア系アメリカ女性協会賞
1987
LAウーマン・ウオリアー賞
1995
チグサ賞(初受賞者)
1997
日本音楽ペンクラブ賞
1997
柴綬賞
1998
名誉博士号授与 バークリー音楽院
1999
横浜市文化省
1999
ジャズ殿堂入り
2000
ラトガース大学ジャズ研究所 ニュージャージージャズ協会 殿堂入り
2000
東京都知事 文化賞
1997、2000
日本ペンクラブ賞
2002
NY 日本商工会議所 栄誉賞
2004
メリー・ル・ウィリアムスウーマン・イン・ジャズ・アワード受賞
2004
国際交流基金賞 受賞
2004
旭日小綬章 受賞
2004
朝日賞 受賞
2005
御前公演(美智子様)
2006
スイングジャーナル選定ゴールドディスク賞
2006
日本レコード大賞 特別賞
2007
ジャズディスク大賞「日本ジャズ賞特別賞」 
2007
全米芸術基金[NEA]ジャズマスター賞
2007
ミュージックペンクラブ賞
2007
東久邇宮記念賞
2008
大分県「名誉県民」

ルー・タバキン(t.sax,flute)


ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。フィラデルフィア音楽院で学び、1963年から1965年は陸軍で演奏。1966年ニューヨークに出て、メイナード・ファガーソン、キャブ・キャロウェイ、サド・ジョーンズ=メル・ルイスの各オーケストラに参加。1967年夏に穐吉敏子と出会い、1969年結婚。1972年、当時所属していたドク・サヴェンリンのオーケストラの移転に伴ってロサンゼルスに移り、1973年には穐吉敏子と共に秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドを結成。1982年にニューヨークに戻り、1983年1月秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキンを結成し、2003年に解散するまで、両バンドで30年にわたってプリンシパル・ソロイストとして数多くの曲でソロをとるなど中心的な役割を果たした。また自己のトリオでも活動している。
そのひげが特徴的だが、テナーサックス演奏時の身体の縦の動き、音の強弱によるビブラート、そして一流のフルート演奏も特徴的である。ちなみに夫婦揃って熱心なワインコレクターでもある。

ジョージ・ムラーツ(bass)


現チェコ共和国、ボヘミア地方南部のピーセックに生れる。一時期サックスも学んだがプラハ音楽院にてクラッシックとベースを学ぶ。在学中よりチェコの一流ジャズグループであるチェコスロバキア・オールスター・バンドで活躍。卒業後の1966年西ドイツミュンヘンへ移住し、ジャズミュージシャンとして活躍。その時期にアメリカのミュージシャンと共演し、若きジャズベーシストの名はアメリカのミュージシャンの間で話題になる。1968年バークレー音楽院特待生として渡米。その後、ニューヨークで活躍し、25歳の若さにして才能を見込まれ、オスカー・ピーターソン・トリオのレギュラーメンバーとなる。その後もエラ・フィッツジェラルド等と共演し、定評と人気を得る。当時、あまりにも忙しく泣く泣くビル・エヴァンス・トリオへの誘いを断ったというエピソードがある。その後も数々のミュージシャンと共演し、1978年からはトミー・フラナガンのレギュラーベーシストとして活躍。トミー・フラナガンとは「Eclypso」「Thelonica」「Ballads&Blue」などの名盤を残している。1992年、トミー・フラナガンの元を離れてからもフリーのベーシストとして活躍中。親日家で70年代より頻繁に来日し、来日回数は50回を超える。
母国では英雄的存在とされ、2004年の60歳の誕生日は大統領主催でプラハのお城にて記念コンサートが開催され、その模様を収めたCDが大統領のプロデュースにてヨーロッパで発売されている。

ルイス・ナッシュ(drums)


1958年12月30日、アリゾナ州フェニックス生まれ。20歳になるまで生地のフェニックスで活動。23歳でニューヨークに出て、マッコイ・タイナーとの共演で知られるフレデリック・ウェイツに師事。ウェイツの推薦で得たベティ・カーターとの知遇をバネに助走路を進んだ。80年代半ばにロン・カーターのグループに参加するのを機にセッション・ドラマーとして持ち場を広げ、トミー・フラナガン、ローランド・ハナ、ブランフォード・マルサリスなどのサポートに大活躍。
90年に初リーダー・アルバム『リズム・イズ・マイ・ビジネス』をリリースし、バンド・リーダーとしても名乗りを上げた。これまでに3000枚以上のアルバムのレコーディングに参加するという最強のミュージシャン。

ポール・ギル(bass)


1960年ボールティモア生まれ。2003年南郷ジャズ出演のデイリー・パーツ(ao)カルテットのレギュラー・ベーシストとして9年間務めるかたわら、スタンリー・タレンタイン、リッチー・コール、ローズマリー・クルーニー、トム・ハレル、ジャボン・ジャクソン等と共演。1994年ニューヨークのジャズ・シーンに進出、エリック、アレキサンダー(ts)、ハロルド・メイバーン(P)=2000年、スコット・ハミルトン(ts)=2002年いずれも南郷ジャズ・フェス出演したビッグ・アーチストの共演に、ダイアナ・クラール(vo)の歌伴もつとめる。

マーク・テイラー(drums)

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