マーサ三宅

4,000人のボーカリストを生み出してきたボーカリスト界の神様!

満州四平街生まれ。

日本音楽学校卒業後、ジャズ系ポピュラー歌手としてプロの道に入る。
その後、レイモンド・コンデとゲイ・セプテッドの専属歌手となり
2年ほど在籍して独立。

以後、テレビ、ラジオ、ステージ、ライブ・ハウスとジャズ一筋に
歌い続け、1974年からは「マーサ三宅ヴォーカルハウス」を開校。
大橋純子、今陽子、芹洋子など多くのスターを輩出。

1953年 日本音楽学校卒業
1954年 レイモンド・コンデのゲイセプテットの専属歌手となる。
1955年 マーキュリーレコードよりSP レコード3枚発表。
1958年 キングレコードよりジャズLP「東京キャナリーズ」を発表。
1959年 第1回目のリサイタルをビデオホールで開催。
この年より、スイングジャーナル誌の女性ヴォーカル部門トップの座を常に保持。
1963年 第2回目のリサイタルを開催。
1968年 第3回目のリサイタルを開催。
キング、コロンビア、東芝EMI、ポリドールから多数のLPを発表。
1973年 東京、中野に「マーサ三宅ヴォーカルハウス」を開校。
1976年 コロンビアより前田憲男とのLP「ア・ソング・フォー・ユー」を発表。
1979年 中野サンプラザホールでリサイタルを開催。
1982年 レッド・ミッチェルらを迎え、
歌手生活30周年を記念に製作したLP「リメンバー」を発表。
1983年 「30周年記念リサイタル」を中野サンプラザホールで開催。
1985年 音楽の友社よりCDブック「マーサ三宅のジャズヴォーカル入門」を出版。
1987年 キングレコードより「オールウェイズ」ミュージックテープ、LP、CDで発表。
1988年 スイングジャーナル誌の、ジャズ界で個人に与えられる最高の賞
『第13回 南里文雄賞』を受賞。
中野サンプラザホールに於いてハンク・ジョーンズ シクテットをゲストに迎え35周年記念コンサート「Martha:My Music」を開催。
主婦の友社よりCDブック「Taste Of Jazz」を出版。
婦人画報社より自叙伝「星空にスィングを」を出版。
ミュージックテープ「サンライズ サンセット」を発表。
1990年 ジャズワールド第6回『日本ジャズ・ヴォーカル大賞』を受賞。
1993年 マーサ三宅歌手生活40周年記念リサイタル「MY LIFE」を有楽町よみうりホールで開催。
このリサイタルは高く評価され、文化庁より平成5年度『芸術祭賞』を受賞。
キングレコードより、LA録音CD「ソフィスティケイテッド・レディー」を発表。
1998年 歌手生活45周年記念リサイタルを開催。
東芝EMIよりCD「素晴らしきこの世界」を発表。
2000年春 『紫綬褒章』受章。
2001年 ポリスターよりCD「ウィズ・ストリングス」を発表。
2003年 TBMレコードよりCD「リメンバー」を発表。
歌手生活50周年記念リサイタル「A DATE WITH MARTHA」を開催。
2005年12月 後世に残すべき名盤シリーズとして、コロムビアより「A SONG FOR YOU」 CD復刻。
2006年春『旭日小綬章』受章。

北島直樹(piano)
青山学院在学中にプロデビュー。松本英彦、日野元彦、本田俊之のグループに参加。阿川泰子のアルバム「ジャーニー」「サングロウ」でアレンジを担当したことがきっかけとなり、CM音楽の制作、アレンジやスタジオワーク、和田アキ子、岩崎宏美のツアーやテレビなど、幅広い音楽活動を精力的に行う。寺井尚子のアルバム「アンセム」から最新作「ジェラシー」まで、作曲家としても才能を発揮。現在は、寺井尚子カルテットの活動を中心に活躍中。1955年生まれ。




加藤真一(bass)
1958/3/20 魚座 A型
168cm / 60kg(2006/10月現在、太った。特に腹)一(いち)がつくので長男、しかし、名前の由来は当時放送されていた黒柳徹子のラジオドラマの主人公の名前をとったそうで安易である。
ついでに言うが妹の名は決めかねて当時1歳の私にくじを引かせたそうである。妹は今も納得していない。 もひとつついでに妹は茂子といって札幌市中央区南3西13丁目で『千両箱』という居酒屋をやってますのでどうぞ、ご利用ください。私の名前を出すと何らかの特典があります。が、叩き出される恐れもあります。 まあこんな親にしてこの子アリです。 北海道空知郡奈井江町出身。石狩平野のど真ん中、幼少時代は文化、芸術とはあまり縁のない生活だったが、健康で立派な田舎もんだった。小学生、中学生時代は音楽より絵に興味を示し、美術の成績は9年間オール5、美術コンクール入賞の常連だった。しかし、15才の時ビートルズを聞いてからギターを弾きはじめ、高校時代はロックバンドを結成、クリームやディープパープルなどのコピーバンドで地元のコンテストや学園祭で演奏する。ふつうここで非行に走るのだが、おおらかな北海道の田舎ではその心配は全くなかった。
しかし、相変わらず絵が好きなのと、父親に「楽譜が読めなきゃ音楽なんかじゃ食えん」と言われ、(絵のほうがもっと喰えないじゃないか!)東京デザイナー学園に進むが、隣のヤツが数段私より上手だったので、あっさり絵はあきらめ、またロックバンドをやり始め、中退。
その後ブルースに興味を持ち当時ブルースの盛んな京都へ。が、あまりに勝手に弾いていたので、見かねたその当時のバンドメンバー(成瀬秀之:キーボード奏者、現在関西で活躍中)の勧めでアン・ミュージックスクールに進み3年間、音楽理論と鈴木淳氏にアコースティックベースを学ぶ。成績優秀、特待生で卒業。
この時期、神戸のクラブ、キャバレー、ディスコでプロ生活スタート。同時にジャズに開眼。のち鈴木氏の勧めで上京。ホテルラウンジのピアノトリオで一年間演奏する。(この一年間は徹底的にしごかれ、いい想い出なし。)あまりに酷かったのでジャズに嫌気がさし、札幌に移り、ジュネスオーケストラでクラシックを演奏したりして(NHKテレビで全国放送された)半年ほどジャズから遠ざかるが、とってもうまかったので、友人の勧め(おだてられ)でジャズライブ活動再開する。なかでも定期的に行なったフリースタイルを含めたベースソロのライブは新聞等に取り上げられ注目を集めた。またこの時期 札幌交響楽団首席奏者、藤沢光雄氏に師事。
1985年ドラムスの猪俣猛トリオ(西直樹:ピアノ)に抜擢され再び上京。同トリオにて全国のオーケストラ、吹奏楽団とも共演する。またジャズでは大友義雄グループを中心に西直樹、遠藤律子、高橋知己、佐藤達哉、三好功郎、黒田京子らのグループはじめ多くのミュージシャンと共演、多種多様な音楽を演奏、活躍する。また、池田篤、椎名豊を擁した自己のカルテットではオリジナル曲を中心に演奏する。
1991年には、この時期に活躍中の若手ミュージシャンを集めて、全曲オリジナルのアルバム(You Can Touch My Heartstrings・自主制作)を発表、好評を博す。
1992 年永住権取得を機会にニューヨークに移住。シーラ・ジョーダン、ヘレン・メリル、またアキラ・タナ率いるアジアン・アメリカンジャズアンサンブル、グレッグ・マーフィートリオ、アーニー・ローレンスグループ、ハル高内トリオで演奏する。またさまざまなセッションで活躍。
1994年猪俣の率いるJJJASのツアーに参加、カーネギーホールで演奏。その後メキシコを楽旅。10月には、マイク・スターンを迎えてのリーダーアルバム(Something Close To Love・キング・KICJ222)をリリース。
1995年帰国、佐藤允彦、中川昌三、辛島文雄トリオ、1996年、木住野佳子トリオで全国ツアー。1997年、猪俣猛でインドネシア、大山日出男カルテットで韓国ツアー。
1999年10月、全曲オリジナルのベース独奏アルバム(Old Diary・サウンドヒルズレコード:TLCD1001)をリリース。嶋津健一ダブルダブルベースセッションなど アコースティック・ベースの魅力にスポットを当てた活動も展開し始める。
2001年、佐藤允彦とのデュオアルバム(Duet 独ナゲル・へイヤー2017)が全米全欧でリリースされ、国際的評価も得る。
2002年、佐藤允彦トリオ(Tipo CABEZA)、富樫雅彦(JJ Spirits)に参加。2004年、5枚目のリーダーアルバム、(B-HOT CREATIONS / EndressJourney ローヴィング・スピリッツ RKCJ-2012)をリリース。
2005年、佐藤允彦(Saifa)とドイツ・メールスジャズフェスティバル、オランダ(BIMHUIS)に出演。 アラキネマ(去年ノ夏、青ノ時代)参加。また、(B-HOT CREATIONS / SET ME FREE ローヴィング・スピリッツ RKCJ-2017)をリリース。
2006年、ライブアルバム(Live in Northland / KATO-SATOH-TAPPY ローヴィング・スピリッツ RKCJ-2020)をリリース。
現在は自己のグループ(B-HOT CREATIONS:田中信正、斉藤良、NOBIE)をはじめ、佐藤允彦トリオ(Tipo Cabeza)、市川秀男トリオ、鈴木和郎トリオ、嶋津健一トリオ、井上ゆかりトリオ、村上寛トリオのレギュラーである。



斉藤良(drums)
1978年7月7日生まれ 広島市出身
●音楽教師の父と画家の母の長男として生まれる。幼い頃から自分の周りには両親の好きなジャズやR&B、アメリカン・アートなどのファンキーな文化が溢れていた。
●8歳の時、地元の神楽団に所属。神楽舞の他に太鼓や手打鐘を担当。幼いなりに「和」のリズムの洗礼も受けた 。
●中学で吹奏楽部に入部。神楽の経験を生かして打楽器を担当することになる。 高校進学後、独学でジャズドラムに傾倒するかたわら、中学・高校6年間の吹奏楽活動でパーカッション全般を学ぶ。
●16歳の時、清水末寿(Ts)との運命的な出会いから、広島市内の LiveBar"SOHO" で 高 校生プロとしてライブ活動を開始する。高校の3年間、ほぼ毎日が昼間は高校生、夜はジャズドラマーという二重生活だった。私のジャズの原点はここにあると思う。
●その頃、現在も活動を共にする佐藤丈青(P)と出会い、ジャズファンクバンド"HIGHER FREAK STYLE"を結成。ACID JAZZやHIP HOPをルーツに持つオリジナル 曲を演奏し、ソニー主催のコンペティションでグランプリを受賞。
●19歳で上京。同時に鈴木勲(b)グループ、佐藤帆(Ts)TOKYO HAN'Sに参加。本田竹廣(pf)をはじめ多くの著名プレーヤーと共演するかたわら、多くの優秀な若手ミュージシャンとの交流を深める。
●現在は都内のスポットを中心に、ジャズ、ファンク、ラテンなどマルチに活動の場を求め、レコーディングや全国各地のツアーなどにも数多く参加している。




伊勢秀一郎(tp)
1955年10月18日、宮城県石巻市出身。1975年上京、マイルス・デイビス(tp)に憧れて、大学のジャズバンドでトランペット始める。1978年頃よりプロ活動を開始。
1987年高橋達也&東京ユニオンに入団し、『PLAYS MILES & GIL』等のレコーディングに参加する。その後、高橋達也クインテット、バイソン片山バンド、オルケスタ・デ・ラルス、松岡直也バンド、角田健一ビッグバンド、内堀勝ビッグバンド等を経て、現在は宮間利之&ニューハード、松尾明テイクテン、増根哲也R.A.P、野口久和オーケストラ、東京ジャズギルド、東京リーダーズビッグバンド、及び自己のバンドで活動中。
ハンク.ジョーンズ(p)、サリナ・ジョーンズ(vo)、デビッド・サンボーン(as)、デビッド・マシューズ(p,arr)、ジミー・スコット(vo)等のミュージシャンと共演。1999年7月に北京公演、2000年6月にJVCジャズフェスティバル・イン・ニューヨークに出演。



増尾好秋(guitar)
東京出身。早大モダンジャズ研究会在籍中に渡辺貞夫グループに正式に迎えられてプロ入りし、一躍スター的人気を博す。1971年、ニューヨークへ渡る。モダンジャズの巨匠ソニー・ロリンズのバンドに通算6年間在籍するほか、リー・コニッツ、チック・コリア、エルビン・ジョーンズ、ラリー・ヤングなど数々のビッグアーティストと共演するなど「世界のマスオ」として活躍。爽やかで人なつっこい笑顔。温かく、感性のままナチュラルに伸びやかに歌うギターが魅力。その音楽性は実に懐が深い。85年よりニューヨークに本格的なレコーディングスタジオThe Studioを所有し、知る人ぞ知る名プロデューサーとしても活躍。スタジオでの仕事が忙しくなり思うように音楽活動ができなくなってしまい、20年以上もの間、演奏活動のブランクに近い状態が続いた。2008年、The Studioの閉鎖により100%ギタリストに復帰! 同年8月に10年ぶりの新作『Life is Good』を、自身の Sunshine Ave. レーベル (masuomusic.com) から発売。現在は精力的に演奏している。今もニューヨーク在住。

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