T-TOC RECORDS

秋吉敏子

世界最年長ピアニストとして、いま尚現役で大活躍中のアジアが誇る巨匠

1929年12月12日旧満州の遼陽に生まれる。日本に引き揚げ後、1946年より九州の駐留軍クラブでジャズ演奏を始める。
1949年に上京、当時の日本のトップグループでピアノ演奏。51年に渡辺貞夫を加え、コージー・
カルテットを結成。
1953年ノーマングランツ来日時に、その卓越したピアノをオスカー・ピーターソンに認められ、グランツの手で初録音を果たしアメリカのジャズ・シーンに紹介され注目を浴びる。  
1956年1月バークリー音楽院に奨学生として渡米。56年、57年とニューポート・ジャズ・フェスティバルにも出演、一躍注目される存在となる。
59年チャーリー・マリアーノ(alt sax)と結婚し、Monday 満ちるをもうける。以後チャーリー・マリアーノ、チャールス・ミンガス、ルー・タバキン(サックス奏者、現夫)らと活動。73年にトシコ・アキヨシ・ジャズオーケストラ?フィーチャリング・ルー・タバキンを結成。
数々の名演、名盤を世に残し、人気と地位を獲得していった。代表作としての74年発表の『孤軍』、76年の『インサイツ』などは、モダン・ジャズの金字塔として世界中で評価されている。
1997年秋、紫綬褒章授章、2004年、旭日賞受賞、国際交流基金賞受賞、朝日賞受賞。
1999年日本人で始めて『国際ジャズ名声の殿堂(International Jazz Hall of Fame)』入り。2003年11月、30年間続けたJazz Orchestraを解散し、原点であるピアニストの活動を再開。
2006年12月4日に音楽生活60周年(渡米50年)を記念して自身のビックバンドを率いて東京・サントリーホールで記念チャリティーコンサートを行う予定。現在もN.Yを拠点に活動中。
日本が誇る世界的ジャズ・アーティスト。 
2006年ジャズ界では最も権威のあるジャズ・マスターズ賞を受賞する。
 
1958
マドモアゼル音楽賞
1976、1977、1978、1979、1980、1981、1983、1984、1992、1994
グラミー賞ノミネート 最優秀バンド・パフォーマンス賞
1981、1982、1984、1990
グラミー賞ノミネート 最優秀編曲賞
1980、1981、1982、1986、1989、1995、1996
ダウンビート 最優秀作曲・編曲賞
1980、1981、1982、1983、1984
ダウンビート 最優秀ジャズバンド賞
1984
レコードレビュー 最優秀編曲賞
1980、1981、1982
ジャズフォーラム 最優秀ジャズバンド賞
1988
ルーツ 世界の最高ジャズバンドリーダー賞
1975
スイングジャーナル Nanri賞(初受賞者)
1977
金賞
1976、1981、1996
銀賞
1986
ニューヨーク市長 リバティ・アワード
1986
NYアジア系アメリカ女性協会賞
1987
LAウーマン・ウオリアー賞
1995
チグサ賞(初受賞者)
1997
日本音楽ペンクラブ賞
1997
柴綬賞
1998
名誉博士号授与 バークリー音楽院
1999
横浜市文化省
1999
ジャズ殿堂入り
2000
ラトガース大学ジャズ研究所 ニュージャージージャズ協会 殿堂入り
2000
東京都知事 文化賞
1997、2000
日本ペンクラブ賞
2002
NY 日本商工会議所 栄誉賞
2004
メリー・ル・ウィリアムスウーマン・イン・ジャズ・アワード受賞
2004
国際交流基金賞 受賞
2004
旭日小綬章 受賞
2004
朝日賞 受賞
2005
御前公演(美智子様)
2006
スイングジャーナル選定ゴールドディスク賞
2006
日本レコード大賞 特別賞
2007
ジャズディスク大賞「日本ジャズ賞特別賞」 
2007
全米芸術基金[NEA]ジャズマスター賞
2007
ミュージックペンクラブ賞
2007
東久邇宮記念賞
2008
大分県「名誉県民」

ルー・タバキン(t.sax,flute)

 

 
 

ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。フィラデルフィア音楽院で学び、1963年から1965年は陸軍で演奏。1966年ニューヨークに出て、メイナード・ファガーソン、キャブ・キャロウェイ、サド・ジョーンズ=メル・ルイスの各オーケストラに参加。1967年夏に穐吉敏子と出会い、1969年結婚。1972年、当時所属していたドク・サヴェンリンのオーケストラの移転に伴ってロサンゼルスに移り、1973年には穐吉敏子と共に秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドを結成。1982年にニューヨークに戻り、1983年1月秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキンを結成し、2003年に解散するまで、両バンドで30年にわたってプリンシパル・ソロイストとして数多くの曲でソロをとるなど中心的な役割を果たした。また自己のトリオでも活動している。
そのひげが特徴的だが、テナーサックス演奏時の身体の縦の動き、音の強弱によるビブラート、そして一流のフルート演奏も特徴的である。ちなみに夫婦揃って熱心なワインコレクターでもある。

ジョージ・ムラーツ(bass)

 

 

現チェコ共和国、ボヘミア地方南部のピーセックに生れる。一時期サックスも学んだがプラハ音楽院にてクラッシックとベースを学ぶ。在学中よりチェコの一流ジャズグループであるチェコスロバキア・オールスター・バンドで活躍。卒業後の1966年西ドイツミュンヘンへ移住し、ジャズミュージシャンとして活躍。その時期にアメリカのミュージシャンと共演し、若きジャズベーシストの名はアメリカのミュージシャンの間で話題になる。1968年バークレー音楽院特待生として渡米。その後、ニューヨークで活躍し、25歳の若さにして才能を見込まれ、オスカー・ピーターソン・トリオのレギュラーメンバーとなる。その後もエラ・フィッツジェラルド等と共演し、定評と人気を得る。当時、あまりにも忙しく泣く泣くビル・エヴァンス・トリオへの誘いを断ったというエピソードがある。その後も数々のミュージシャンと共演し、1978年からはトミー・フラナガンのレギュラーベーシストとして活躍。トミー・フラナガンとは「Eclypso」「Thelonica」「Ballads&Blue」などの名盤を残している。1992年、トミー・フラナガンの元を離れてからもフリーのベーシストとして活躍中。親日家で70年代より頻繁に来日し、来日回数は50回を超える。
母国では英雄的存在とされ、2004年の60歳の誕生日は大統領主催でプラハのお城にて記念コンサートが開催され、その模様を収めたCDが大統領のプロデュースにてヨーロッパで発売されている。

ルイス・ナッシュ(drums)

 

 

1958年12月30日、アリゾナ州フェニックス生まれ。20歳になるまで生地のフェニックスで活動。23歳でニューヨークに出て、マッコイ・タイナーとの共演で知られるフレデリック・ウェイツに師事。ウェイツの推薦で得たベティ・カーターとの知遇をバネに助走路を進んだ。80年代半ばにロン・カーターのグループに参加するのを機にセッション・ドラマーとして持ち場を広げ、トミー・フラナガン、ローランド・ハナ、ブランフォード・マルサリスなどのサポートに大活躍。
90年に初リーダー・アルバム『リズム・イズ・マイ・ビジネス』をリリースし、バンド・リーダーとしても名乗りを上げた。これまでに3000枚以上のアルバムのレコーディングに参加するという最強のミュージシャン。